雲のくびれ
山口彩紀 山村榛菜 2人展
2026.11.2 mon - 11.7 sat
11:00 - 19:00 最終日17:00
Gallery Q
特におすすめしたい展示のご案内です。ogumaga_studioの企画展ではございません。
陶で骨壺を作る山村榛菜さんと「続きのある終わり」をテーマとした展覧会を行いたいという思いから二人展の企画が始まった。骨壺は、遺骨を保管するものであるが、生きた証を残すために作る美術作品でもある。骨壺を作ることは、「死」という終わりを受け止めることでもあるが、山村さんの骨壺は、どこか続きがあるような永遠そのものを作っているような気がした。
私の家の前には、すでに死んでしまった木がある。その木は、枝は生えておらず、体の半分くらいのところで切り取られ、死んだまま立ち尽くすように地面から生えている。いつ倒れてもおかしくない状態であるにも関わらず、よく見ると木には、たくさんの小さな穴が空いている。ときどき、キツツキがやってきて、穴を開けては木の中にいる虫を食べている。死んでいても、まだ木の中には虫が住み続けているのだ。また、時にはリスがやってきてオスがメスに向かって尻尾を振り、求愛をしている。死んでいる木の上で別の個体が新しい命を迎えようとしているのである。私たちも作品を残すことで、もしかしたら命をつなぐことができるかもしれない。陶の中に込められる人への思いや絵の具や木を削って動物の足跡のように筆致を残していくこと。それらの行為は、終わりの続きを生み出そうとしているのかもしれない。
2026 山口彩紀
雲のくびれ、と聞いて何を思い浮かべるだろうか。
私のアトリエからは、空がよく見える。制作の合間に空を眺めていると、雲がどこから生まれ、どこへ消えていくのか分からないまま、形を変えながら続いていくことに気づく。ひとつの雲だと思っていたものが、いつの間にか別の雲とつながっていたり、反対に、つながっていたものが細くくびれて途切れていったりする。
「雲のくびれ」という言葉を聞いたとき、私はそこに、終わりのようなものを感じた。
私は、死者に会いたいという気持ちから骨壷を作り始めた。骨壷は、遺骨という、その人が最後に残した物質を内包する器である。だから骨壷を作ることは、「死」というひとつの終わりを受け止めることでもある。
けれど、私が骨壷を作り続けているのは、死を見つめたいからだけではない。
亡くなった人のことを思い、その人が生きていた時間を想像する。残されたものに触れながら、もう会うことのできない人との時間を、これからも続けていく。骨壷は、終わったものを収める器でありながら、その先へ時間を渡していく器でもあるのだと思う。
彩紀さんとは、学部から大学院まで同期として過ごしてきた。在学中、校内に雀が迷い込んだとき、「網、持ってない?」と聞かれたことがある。ドアから出られなくなった雀を助けたいのだという。
小さな命を見つけ、それを気にかける彼女の眼差しは、今の作品にもつながっているように思う。
彼女の作品には、生き物や人の営みだけでなく、そこにあったもの、これからなくなっていくものへの視線もある。鮮やかな色と鈍い色が重なり合い、モチーフ同士が溶け込む画面を見ていると、描かれた世界がキャンバスの外にも続いているように感じる。
私は、その「続いていく感じ」が雲に似ていると思った。
雲には輪郭があるようで、その境界は曖昧だ。くびれたところで終わったように見えても、その先にはまた別の形が続いている。
死も、作品も、記憶も、完全に終わってしまうものではないのかもしれない。
何かが終わったあとに残されたものは、誰かの中で別の形になり、また次の時間へとつながっていく。
「雲のくびれ」の向こう側に何があるのか。
二人の作品を通して、その先に続いていくものを感じてもらえたらと思う。
2026 山村榛菜